山崎美弥子 「フルハウス」
FULL HOUSE MIYAKO Yamazaki

会期:2001年7月7日(土)〜31日(火)
会場:青山 晶アート(メゾンリベラール103)

協賛:S.P.J.、DT JAPAN inc.、築地アルボル
ASA-CHANG&巡礼 ライブ7月14日(土)19:00〜
太郎の椅子とイーゼル

 なぜ山崎美弥子の展覧会を行うのか?それは彼女が、ハワイはモロカイ島のカフナ(シャーマン)にリーディングを受け、「この人達はあなたにとっていい人達だ。」とのお告げを貰ってきたからである。展覧会を開催しないことには、物語が完結しないのだ。
 そもそも、彼女が美術家として本格的な活動を始めたのも、1998年に京都の寺で、彼女が手を合わせるより先に、観音様がまっすぐ彼女の方を向いて拝んでいたからだ。ドッキリすると同時に、”Love Speaks”の啓示を受けてしまった彼女は「リアルラブを知ることを恐れずに」、世界中に「ラブを広める」ため走り出した。
 走れ!ラブが宇宙を満たすまで!
 ラブを伝える方法は、ひたすら発注制作だ。いいねえ、あの看板。刺繍も上手だねえ、いいネパールの職人使ったねえ。そうだ、協賛も貰って来ようよ、いっぱいね。「どうもどうも、ヤマザキで〜す。お願いしま〜す。」皆でつくる展覧会だから、いいよいいよ、OK!
 こうして出来上がった作品たちは、どれもこれもがスピリチュアルな輝きに溢れている。美術史的に考えれば、発注制作?職人とのコラボレーション?参加型インスタレーション?など、20世紀後半のキーワードがいくつか浮かんでくるのだけれども、そんなことが気にならないほど、作品は「有って在る」力強さに満ちている。
 岡本太郎の椅子の前で、お告げの通り、岡本太郎のイーゼルを描き続ける。毎日毎日夕刻に、お客が来訪した時には、彼女はちょっと手を止めて、お酒を振舞ってくれるでしょう。そして、ラブを伝えてくれるでしょう。年に一度、織姫と彦星が出会うその日から。
 ”Love Speaks!”
                                                      深瀬鋭一郎
フルハウス

 タロー!といってもウルトラマンタローじゃなくってオカモトタロー。"岡本太郎美術館"が去年の後半にオープンし、どうやらちょっとしたタローブームが始まっている…そんな情報にうとかった私はただいつものように青山界隈をブラブラ、タロー氏の元自宅兼アトリエである記念館に遭遇。彼の生前からもちろんこの聖地は知っていたし、そびえたつオブジェを外からのぞいたりもしてみていたからこそ、大きく開かれた記念館のエントランスに吸い込まれるように、「入ってもいいの??」とドキドキで、気がついたらもう縄文人の前に立っていた。彼が愛用し、たくさんの時間と気持ちが封じこめられた重たいイーゼルに対面した時、その強烈なエナジーに撃たれほとんど失神寸前!になった。どのくらい立ちすくんでいたのかわからないほど。その時から私はタローのスピリットにとりつかれてしまったのだ。それからというもの、少なくとも週1のペースでタローと対話しに青山へ通う日々。…タローのことを、いままで何も知らなかった。でも今はタローのスピリットが私のアーテイスト魂をしっかりと支えてくれていることを毎朝感じて目覚めるほどに近づいてしまった。タローが残した、恐ろしいほど真っ黒い線や、目を背けたいほどの赤から、にじみでてかくせない神聖なまでの"やさしさ"を、愛と呼びたい。ニッポン人がそんなことをやっと思いだし始めた今だからこそのタローブームだったんだ。記念館からもほど近い246沿いの子供の城にも美しいタローの偉大な植物が立っている。コンクリートの下に確かに横たわる大地にドカンと根をはやして。気持ちいい午後は、ひとりまたタローに逢いに来てしまう。いつもどうしてもなんでだかこぼれそうになってしまう涙を一生懸命おさえながら。(CODE 2000年6月号ラブスピークスVOL.13より)

…これがすべての始まりだった。タローが突然降って来たその数ヵ月後、ネパールへ行ってタローと向かいあうための椅子をつくった。たくさんのタローを知らない人たちと対話しながら、私の気持ちを存分にこめて。タローへの友情と尊敬をこめて。

 1月、ハワイイのモロカイ島で、大切な友人であるカフナ(シャーマン)を通じて、タローのスピリットと対話した。タローは私にタローのイーゼルの絵を描きなさいと語った。それをタローと向かいあうための椅子の前に掛けなさいと。そしてこれからタローは私に直接語ろうとしているという。だから自分で聞いてごらんと…。

 2月、沖縄へ行った。セイファウタキへ行った。セイファウタキが何であるかも知らずに。なにも考えずに写真を撮った。1週間後の東京で、タローの撮った沖縄の写真の存在を知り、その中に私が撮らえたものと全く同じものがたくさん写っているのを見つけた。タローは数十年前、同じウタキに行っていた。タローが私を同じ場所へ行かせたとしか思えなかった。あの日から、タローはずっと私に語りかけている。

「なんにもないということそれが逆に厳粛な実態となって私をうちつづけるのだ。ここでもまた私はなんにもないということに圧倒される。それは静かでふとい歓喜であった。」(沖縄文化論 岡本太郎より)

…これはタローがウタキを語った言葉。私はこのタローの言葉をそのまんま、絵の掛かってないタローのイーゼルを語るために使いたい。ウタキにはなにもない。でも空っぽではない。私は知らずにタローと同じ場所へ立って理解した。空っぽじゃない。あきらかにそこには神が存在しているから。空のタローのイーゼルは決して空では無い。私を失神寸前にまで打ちのめした存在があった。この空っぽがこれほどまでに情熱的に、なにも無い形を形どらせようと私にさせる。かたちどることに私は猛烈に夢中になる。空を形どることに。もう形の無いタローがずっと私に聞こえない言葉で語っている。空っぽを形どることを。形どられた不揃いの"空っぽ"で部屋はもう、いっぱいになっている。
                                                     山崎美弥子
リアルラブの治療薬

 人間のレゾン・デートル(存在理由)はどこにあるのだろうか? 山崎美弥子の作品を見ていると、普段思い浮かぶことのない疑問がふと意識に上る。彼女の表現が、しかつめらしく哲学的な瞑想に浸っているからでも、人生への虚無的な問いに悩んでいるからでもない。彼女の作品に「高尚」という文字が現れたとしたとしても、またネパールに足繁く通ったとしても、彼女が人生の大問題に解答を与えるべくそうした創作や行動をしているようには思えない。少なくとも表面的にはそう見える。しかし彼女と会話したとき、興味深い話を耳にした。彼女は、子供時代に悟りの経験をしたというのである。世界のすべての根本にある原理が判ってしまったというのだ。そして、その内容よりも判ってしまったことに衝撃を受けたという。

 判ってしまった以上、もうそれについては思い悩む必要はない。そのようにして彼女の人生は始まった。もし悟りがあるなら、それは人生の終わりの日に訪れるのが普通だろう。とすれば、彼女は人生を終わりから始めたことになりはしないだろうか?そして彼女の創作活動は、その内容がなんだったのかを検証する過程となるのでは。しかし、ことはそれほど簡単ではない。なぜなら、彼女が子供時代に悟りを開いたとはいえ、それによって一種の健忘症に罹ってしまったからである。言い換えれば、判ったという自覚はあっても、その内実を知りえなかった(と彼女はいう)のだから、彼女は盲目になったのだ。

 したがって、その内実をどうすれば知りえるかという問題は意味をなさない。彼女は零の状態から手さぐりで始めなければならない。それ以上に、自分が何を求めているかも知らず、最初から取り掛からなければならないのだ。しかし彼女には、この苦境を乗り越える天分がある。ラブ(愛)という、彼女のドゥローイング集のタイトルにも入っている他人を愛することができる天分が。人間は元来臆病なので、自発的に他人を愛することはできない。サルトルもいうように、通常の愛は必ず代償を求める。それゆえ、彼女のラブ(愛)は天性の領分のなのである。この溢れ出る愛は、彼女の周りにさまざまな冒険と出逢いの網の目を張りめぐらすことだろう。

 山崎美弥子は関係性のアーティストである。彼女の作品が最初に人の目に触れた、バーやレストランに描かれた壁画から始まって、出逢いと偶然が連綿と彼女の創作活動を導いている。勿論それを可能にしたのは、彼女が無意識のうちに描いていたドゥローイングであり、それはアーティスト山崎美弥子の核心部分、つまりラブ(愛)を具現化している。しかしそれが後に、画廊での展覧会そして「LOVE SPEAKS」いう作品集に結実するとまでは、彼女は予想していなかったのではないか。同様に、彼女がネパールに行き、刺繍や看板を作るきっかけになったのも、出逢いと偶然によるところが大きい。彼女は、仕事の関係でたまたまネパールを訪れることになった。そして、彼の地で刺繍職人や看板書きに出逢い、自分のドゥローイングを刺繍したり、看板を描くように依頼した。しかしなぜ、彼女は刺繍や看板を自力で制作しなかったのだろうか。過去に現代アートで流行した発注作品を試したかったのだろうか。単に自分ではうまく出来ないから、他人に任せたのだろうか。そのいずれでもあるまい。彼女のラブ(愛)が、彼女を他人に近づかせ、彼らを彼女に引き寄せて、彼らとのコラボレーションとして作品をつくるように仕向けたのだ。作品は、彼女を中心として、偶然が織りなすそれらの関係のなかから生まれる。

 このように関係を結びつつ、またそれを広げながら、彼女はアイデアを形にしていった。美術館やセレクトショップのウィンドウ・ディスプレイ、クラブのパンフレットの表紙、名古屋でのグループ展の組織、世界エイズ・デーでのイヴェント・デザイン、さらに遠方の沖縄やハワイへと。私は、彼女の表現を物理的な事物だけに限定したくない。というのも、彼女の行動を含めた創作全体が、作品と考えられるべきだと思うからである。彼女の作品は、関係によってそして関係のなかで初めて成立する。彼女が、失われた悟りの内実を求めて手さぐりで行動するとき、ラブ(愛)は彼女に寄り添い、彼女の背後にさまざまな痕跡を残していく。それらの痕跡を、私たちは作品と呼ぶのである。彼女は最近、ハワイで岡本太郎に会ったらしい。在りし日の太郎ではなく、彼の霊魂と。勿論彼女には見えないので、友人であるシャーマンを介して。沖縄では、彼女は何も知らず、太郎ゆかりの地(セイファウタキ)を訪れた。そこまで太郎に魅せられている(招き寄せている)のなら、次の作品は、当然岡本太郎に捧げられるだろう。

 晶アートでの個展のテーマは、岡本太郎との出逢いであるという。作品は、彼女自身が描いた太郎のイーゼルを前にした椅子の予定と聞く。この椅子もまた、ネパールの職人とのコラボレーションだ。これこそ、座る人々に、私が冒頭で呈した疑問に答えて、「存在してよい」と返してくれる椅子ではないだろうか。私にはそれが、岡本太郎、ネパールの職人、観客、そして山崎美弥子の間に生まれた至上の愛の結晶だと思われるから。
                                                      市原研太郎
 
■山崎美弥子
1969年生まれ。多摩美術大学絵画科油画専攻卒業。
1990年代前半、東京のクラブやカフェの壁に絵を描きはじめる。
1998年よりネパールの刺繍職人とのコラボレーションスタイルでドローイング作品を発表。
以降、表現手法は多岐にわたる。

■個展
1999年 「LOVE SPEAKS」 P-HOUSE(恵比寿)
      「Love'n pieces」 ワタリウム美術館1階ONSUNDAYS(外苑前)
2000年 「Public God」ナガミネプロジェクツ(銀座)
      「SPLENDOR」(世界AIDSデー2000 GRATIA)ウオールビルデイング(西麻布)
2001年 「FULL HOUSE」
      「MOLOKA'I CARES」 ナガミネプロジェクツ
      「海と空の結婚パーティー」版画工房バトーラボアール(鶴見)
2002年 「LAND」 ZERO ONE PROJECTS(ロサンゼルス)
      「DUNE SHANTY」 MUSEUM(山梨県北巨摩郡高根町清里)

■グループ展
1999年 「新しいギャラリーのカタログ展」 アートショップナデイッフ(表参道)
2000年 「フィリップモリスアートアワード2000最終審査展」 恵比寿ガーデンプレイス
      「INDOOR LIFE」 名古屋港ガーデンふ頭20号倉庫(名古屋)
2001年 「万物スプーン」名古屋市街地
2002年 「オフロ・アート 銭湯の背景画展」 三鷹市芸術文化センター
      「Beautiful Artists」 菜香亭(山口市)

■出版
1999年 ドローイング作品集「LOVE SPEAKS」 光淋社出版
2001年 DVD 「HEVEANLY BRIGHTS」 MIYAKO yamazaki with URN,UK 発売元:ニューズベース

■その他
1999年  バーニーズニューヨーク ウインドウデイスプレイ(東京・横浜)
1999年  クリスチャンデイオール カタログマガジン
2000年  「RESFEST 2000DIGITAL FILM FESTIVAL」入選 ラフォーレミュージアム(原宿)
2001年  「RESFEST 2000DIGITAL FILM FESTIVAL」入選 ラフォーレミュージアム(原宿)
2002年  BEAMS T 「HILUX by Miyako Yamazaki」発表 BEAMS